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30歳になって早くも半月が経ちましたが、
かなり変わってきた部分があります。

この先のイメージの話。
30歳からのことって20代の時には自分はほとんど考えることがありませんでした。
そもそもあまりいいイメージを抱いていなかった節があります。。
それが、30を過ぎてこれからのどうなりたいかの自分のイメージをものすごく考えるようになりました。しかもポジティブなイメージ。

イメージの違いですが、自分にとっては結構大きいことだと思っていて、
自分のなりたいイメージが頭の片隅にでもあれば、
意識する時間が増えて、
それが積もり積もって自分の大部分を占めている無意識の行動が変わってくると思うし、
毎日のちょっとした選択肢が変わって、
その選択肢の積み重ねが、時間の重みも加わって、自分の中心になってくると思う。

イメージの積み重ねがいつかの未来の自分を確実に変えていきます。
自分の思う〝素敵な自分〟を思うだけで、確実にそれに向かっていけると思います。

どんなに余裕がないときでも、
人に優しい人。
地に足がついている人。
着々と進んでいる人。
誰かの不幸せを生まない人。
自分の周りの人にもポジティブなイメージをたくさんもってもらえるような人。
周りにいてくれる人を大切にできる人。
環境のありがたみが分かる人。
モノコトに素敵な視点をたくさんもっている人。
素直な人、うそをつかない人。
そんな人になりたい。
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by httq_www_newtral | 2011-12-07 04:45 | ウワノソラ

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あたりまえがあたりまえになってはいないか?

広島の姉から連絡。
ここ何日かお父さんと連絡とれないんだけど。。

自分は単身赴任の父親と二人暮らししていますが、
父親とは生活のリズムが真逆で自分が外出が多いので一緒の家に住みながらほとんど起きている父親と顔を会わせる時がありません、
家であっても仕事をしているので、あまりしゃべらない。
父親としゃべっていないことにすら最近気づいていませんでした。
普段なにも意識してなかったんだけど、
一緒に住んでいながらしゃべってない環境に父親は居心地の悪い毎日を送っていたんじゃないか?
なにか嫌な思いをしていたんじゃないか?
あたりまえになりすぎてなにも気づかなくなっていました。
結局なんともなかったんだけど、あたりまえに存在してくれているモノコトに対して考えさせられました。

自分の環境にあるあたりまえのことって自分の気づかないうちに、
極端に考えることが少なくなってきます。透明になっていきます。
人生前に進むために考えることがたくさんあったり、
決して無くなったりあたりまえにならなくなったりすることはないだろうと思っているから。

でもそのあたりまえのことはよくよく考えるとあたりまえなんじゃなくて、偶然に偶然が重なって、自分の目の前にあって、自分の基本の土台を担ってくれていることがぼんやり分かってきます。
いつもの風景、家族、友人、モノ、仕事、学校。
自分の意思でなにかを選択してアクションが起こり、出会ってずっとそばにいてくれて、あたりまえになっている。意図し得ない偶然によって成っている。
そう考えると、いつもよりちょっと彩度が増して見えてきます。
それはみんながみんな手にすることのできる彩りなわけでなんかいいなと思います。

みんな毎日を懸命に生きていて、
懸命が故にちょっとおざなりになっている、〝あたりまえ〟
あたりまえがあたりまえにあると思えているからこそ、それに重心を預け、自分の進みたい方向に力をシフトして進むことができています。
悲しいかな、あたりまえはあたりまえじゃなくなった時にその大切さが分かるケースが一番多い訳ですが、
その前にいつかちょっと心に余裕ができた時にでも、
そばにいてくれる、〝あたりまえ〟にもう一度スポットを。
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by httq_www_newtral | 2011-12-05 04:36 | ウワノソラ