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多くの期待をもう自分に寄せていない。

って言葉があって、それにちょっとぞっとした時がありました。
期待と希望は心の置いてある部分で似ています。

将来〜になりたいからはじまっていると思われる希望、期待。
小さいときは将来が見えなさすぎて、
でもどう考えても希望があるに決まっていて、考える必要がなかったような気がします。

それから、だんだん先が見えるようになって、
終わりも想像できるようになってきます。
見えるようになるチカラがついたぶん、
全てを手にすることはできないし、
なにか可能性を捨ててしまうことも生活していくうえで必要になってきます。
その中で期待、可能性、希望が無いとおもってしまうこともしばしば。

希望がなければ、〝死ぬ〟という選択肢もとれてしまう今の時代、
期待しても叶わないことの方が多いわけですが、
なにか期待ができる明日、
なにがしろ可能性がある未来を見る、ということは大切だと思います。
希望の大きさや方向性は全くもって関係なく。
そう思える気がしたらもうなんでもいいんです。
気がするだけでも充分いいんだと思います。

そして未来は分からないぶん、
心構え次第で、誰でもいくらでも希望、可能性、期待は持つことができます。
これは断言できます。
心のちょっとした工夫や、ちょっとした下ごしらえがあれば、その心構えは持つことができるんじゃないかと思えるようになりました。
全てがうまくいくことはなくてそれでこそ人生、そう思うだけでも希望や可能性は持つことができます。

明日はなんか今日よりたのしそうだなぁ。
あれがあるから自分はやっていける気がするなぁ。
そう思える心構えがもてたなら、
とても幸せだなぁと思います。
その心構えは一時的なものではなくて一生持ち続けることのできる幸せだと思います。

期待というか、希望みたいなものってやっぱり生きる糧の中核なんだな、と思いました。
明日に希望を、
昔はなんか気恥ずかしい言葉だと思っていましたが、
今は結構真剣に言えるようになりました。
そんな歳になってきたかぁ。
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by httq_www_newtral | 2011-10-26 00:45 | ウワノソラ

久々に書きます。

twitter,facebookをやっていると時間をかけてモノゴトを考える時間が短くなりがち。
もちろん遠くの人の近況が知ることができたり、疎遠になっている友人と連絡がとることができたりと、友人や過去に人より重きをおいている(と思われる)自分には本当に大切なコミュニケーションツールですが。
それぞれ、コミュニケーションのカタチとして、自分にとって、よい部分と、よくないかもしれない部分あって、それをきちんと踏まえた上で使っていかないといけません。
人には直接会うのが一番です。

ここ最近は仕事をありがたいことにちょっとずつ頂けてなんとかなっています。
クライアントの人、クライアントを繋げてくれる人、作業を手助けしてくれる人、息抜きにつきあってくれる人、みんながいてなんとか自分の生活が成り立っています。
その考えを前提において、やっていけば、誰もしらない、未来の話ですが、これからもなんとかなるような気がしています。
気がするだけですが、その気、というものが自分の希望になり、生きる糧になる。
それでいいんじゃないかと思うようになりました。
あとは自分が精一杯やるだけ、自分の責任で。
人に迷惑はかけない。誰かの不幸せを生まない。

時間はまってくれません。
さきを漠然と無限にあるかのように無意識の部分で思ってしまいがちですが、
時間は有限。
仮にあと30年仕事をするとして、
一ヶ月に一つの案件をこなしたとして、
あと360の案件しかできないんです。
一つ一つを大切に、自分の思うように、自分の思う自分に少しでも近づけるようにやっていきたいと思います。

生きている中で自分が選択して、生んだ一つのアクションで、
生まれた友人、出会い、環境を今よりちょっと大切に。

30歳になる前にちょっと思ったことでした。
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by httq_www_newtral | 2011-10-21 01:14 | ウワノソラ