多くの期待をもう自分に寄せていない。

って言葉があって、それにちょっとぞっとした時がありました。
期待と希望は心の置いてある部分で似ています。

将来〜になりたいからはじまっていると思われる希望、期待。
小さいときは将来が見えなさすぎて、
でもどう考えても希望があるに決まっていて、考える必要がなかったような気がします。

それから、だんだん先が見えるようになって、
終わりも想像できるようになってきます。
見えるようになるチカラがついたぶん、
全てを手にすることはできないし、
なにか可能性を捨ててしまうことも生活していくうえで必要になってきます。
その中で期待、可能性、希望が無いとおもってしまうこともしばしば。

希望がなければ、〝死ぬ〟という選択肢もとれてしまう今の時代、
期待しても叶わないことの方が多いわけですが、
なにか期待ができる明日、
なにがしろ可能性がある未来を見る、ということは大切だと思います。
希望の大きさや方向性は全くもって関係なく。
そう思える気がしたらもうなんでもいいんです。
気がするだけでも充分いいんだと思います。

そして未来は分からないぶん、
心構え次第で、誰でもいくらでも希望、可能性、期待は持つことができます。
これは断言できます。
心のちょっとした工夫や、ちょっとした下ごしらえがあれば、その心構えは持つことができるんじゃないかと思えるようになりました。
全てがうまくいくことはなくてそれでこそ人生、そう思うだけでも希望や可能性は持つことができます。

明日はなんか今日よりたのしそうだなぁ。
あれがあるから自分はやっていける気がするなぁ。
そう思える心構えがもてたなら、
とても幸せだなぁと思います。
その心構えは一時的なものではなくて一生持ち続けることのできる幸せだと思います。

期待というか、希望みたいなものってやっぱり生きる糧の中核なんだな、と思いました。
明日に希望を、
昔はなんか気恥ずかしい言葉だと思っていましたが、
今は結構真剣に言えるようになりました。
そんな歳になってきたかぁ。
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by httq_www_newtral | 2011-10-26 00:45 | ウワノソラ
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