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深夜のカフェを終えて、家に帰ると週始めまで会うことがないからか、父親から置き手紙、
体調には気をつけろとのこと。
父親にも体調不良をうつすのは申し訳ないと思い、足どり軽く家の窓をあける。
何かを思って何かをする。
何を得たくてやったのかよりも、
何を思ってやったのかが大切だ。

人は年を重ねていくにつれ、
行動で相手の心内を知る術を身につけていくが、
自分の心内全てが、人に分かることはない、絶対に。

人は透明人間のように、匿名になった時に本性があらわれるというが、
〝匿名である心内〟を磨く為に何ができるのか、
私はどう或るべきなのかを毎日思うようにする。
生きる意味はかなり近い。
行為一つの心内にも目を向けるだけで、今の自分が見えてくる。
雑にしている小さな行動を正すことで大きな流れを修正することもきっとある。

とりあえず窓からは、外にいる時よりもずっと鳥の声が聞こえる、
ふと、ちょっと得した気分。。

自分が思うほど、
自分は悪いやつではなかったりする。


朝の帰りの電車の中で、

アンティークの家具について、ほんの少し考えた。
アンティークと言われる家具に関しては、
かなり前から、どうしていいと思えるのか考えてきたつもりだ。
比較して例え使いづらくても選んでしまう理由。
〝風景〟があるという言葉では、全ては置き換えれない。
物理的機能と同じラインか、それよりも先に精神的機能?的なものがあって、
事実、生活の糧になり、支えている。

高木正勝の音楽についてほんの少し考えた。
高木正勝の音楽は私にとっては、立派な、日常品だ、
日常について現時点よりも深く、考えさせてくれる、日常品だ。
布団よりも、テレビよりも選びたいモノだ。
物理的機能をちょっと越えている、
それらで競争はできないけれど、
もし競争するようなことがあれば、
それはもう私にとって生活用品と呼べないだろうか?
そう思わせる、精神的機能をもちあわせている。
事実、生活の糧になり、私を支えている。

お気に入りの服についてほんの少し考えた。
人の目を除いて、
着た時の自分の目の前の見え方についてだ。
なにかちょっと背伸びできたような感覚は、
きっと物理的機能を飛び越えた、服の奥深いところだと思う。
事実、生活の糧になり、支えている。

精神的機能に関しては、今現在より前の、自分の複雑な脳の中で生みでたものだ。
こう行きたい、こう生きたい、こう生きていきたい。
願いが叶っているような感じ。
代わりに願いを叶えてくれているような存在である。
向かいたい方向の道しるべをしてくれる存在である。
それは今、とても重要視するべき、生きている意味に近い特別な機能なんじゃないか、
事実、わたしにとってはそうである。
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by httq_www_newtral | 2009-10-17 09:39 | ウワノソラ
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