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事務所を辞めて様々な視点の言葉や映像や写真、くくると人から発せられたなにかに触れる機会が格段に多くなりました。興味があることに対して偏りがちだけど、
またそれに対して考えることも増えました。
また考える際の心構えも以前よりは少し理解している感じがします。
なにかを理解しようとするにあたって、
その情報を受けていくこと自体がゴールという理解をしていると、そこは理解できても、
そこから広がる核心を理解できない気がする、少なくとも私は。
その情報は道筋で、頭の中に、ゴールに近いと思われるなにか、を見ながらじゃないと深くを理解できない感じがします。
ゴールは人様々なんだけど、そのゴールにはきっとみんな共通するなにかがある、
あと思うのが生きる上で理解することはいいことかは分からない、こと、
理解したいから理解しようとする、でいいんじゃないかと。
理解してないからいけないとか甘いとかはちょっと違うと思う。


毎日の行動は点のつけることの連続だ、
こうしたい、、頭のとても広い三次元の中に点をつけていくこと、
どの行動も核心に近かれ遠かれ、予測のもと、点をつけてそこに向かう、
その点の集まりが自分の地図みたいなものになって、
その地図で自分の目の前のことを見る、
その点は自分でつけているのか、それとも自分以外の環境につけられているのかが、未だに分かりません、
自分の意思は有るという概念のもとならつけているんだろうけど、
生まれたときは何もない訳で、実は意思は疑いもなくあるように思えているだけってなると、自分以外の環境につけられている。
そこを毎日の中で徐々に理解できればと思います。
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by httq_www_newtral | 2009-04-22 01:28 | ウワノソラ
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